じんせい
生きるって、どうするの?
身体に血がめぐり、息をするのは無意識にしていること。
楽しいことは?
自分で見つけること。
悲しいことは?
誰にでも訪れて、いずれ去っていくこと。
辛いことは?
無理をしすぎて、自分のリズムを失ったときに訪れるお休みのサイン。
うれしいことは?
無心に動いていて、ふと顔を見上げたとき、目の前に現れること。
そんなこんなが波のように押しては返す様が
生きるのに似ているのかな。
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生きるって、どうするの?
身体に血がめぐり、息をするのは無意識にしていること。
楽しいことは?
自分で見つけること。
悲しいことは?
誰にでも訪れて、いずれ去っていくこと。
辛いことは?
無理をしすぎて、自分のリズムを失ったときに訪れるお休みのサイン。
うれしいことは?
無心に動いていて、ふと顔を見上げたとき、目の前に現れること。
そんなこんなが波のように押しては返す様が
生きるのに似ているのかな。
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今日、久しぶりに夫の言動が気になった。
彼はよく、モノゴトを自分の中で片付けてしまう。
二人の関係の中で起こったことも、
わたしが問いかけたことも。
わたしは、結果を出すための話し合いではなく、
お互いを知るための話し合いをしたい。
しかし、長年、ビジネスマンを続けてきた彼は、
合理的なビジネス会議が身に付いていて、
あーでもないこーでもないと自分の気持ちを語り合い、
お互いを知ったうえで最善策を見出だす話し合いは出来ないらしい。
わたしは、彼の意見も聴きたいのに、彼は
「いりこさんがそう思うのなら、それでいいよ」と言う。
彼は、それを優しさだと言うが、とんでもない!
それは、二人の関係を深めることから、ただ逃げているのだと思う。
わたしとの関係に見切りを付けてのそれなら、
それで終わりにすることもOKだけれど、どうやら、そうではないとのこと。
結局、関係を深める作業(この場合は話し合い)が、
ただ単に面倒なだけなのだと思う。
じゃあ、なんで二人で暮らすの?
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昨年、母の体に大きな変化が起きた。
体を自分の意思で動かすことが困難になった。
母は、懸命にリハビリに取り組んだ。
70代の人が、これだけの変化を起こせるものなのかと感動した。
変わりたいと思う気持ちがあれば、何歳でも変われるのだと、
わたしのほうが勇気づけられた。
排尿さえ、自分の意思でままならず、ましてや半身は全く動かない。
もう自分の足で立つことは出来ないのかと、望みを失ったのは、わたしの思い込み。
母は、とにかくリハビリに取り組んだ。
途中、思うように回復しないことに、途方に暮れた様子を見せたこともあったが
彼女は、あきらめなかった。
母さん、あなたは本当にすごい人です。
そして、母は変わった。
あんなに他者優先だったのが、自分のことで精いっぱいになり
あんなに頻繁にかかってきていた電話が、
こちらが気になるくらいかかってこなくなった。
今は父の介護あっての家での暮らしがある。
それも、いつまで続けられるかは分からない。
いざというときは、施設へ入所すればいいじゃないか?なんてのは甘い話で
100人待ちの中に、予約を入れている。
もし、まだ家での暮らしが続けられるうちに、入所の順番が回ってきても、
断ってしまえば、またいつになるか分からないから、否応なく入所せざるをえない。
結局、自分たちの意思決定はできないことになっている。
たとえ自宅の近くの施設に入所できて、ときどき帰宅するとしても
その家のメンテナンスをする人が必要。
そうなると、遠方の地で暮らすわたしが、ここで築いた関係を置いてUターンするか
自分の体のことで精いっぱいの姉が、無理をしてするかということになる。
結局、どんなに高額の税金を払っていても、個人の負担を課せられる。
日本の介護の実態、おかしくない?
老いること、死ぬことを、それぞれの人が、もっと真剣に考えてもいいんじゃない?
誰にも平等にやってくる老いや死、無関係では済まされない障がい。
年金をいくらもらうかよりも大切な問題だと思うのだけれど。
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ひさしぶりにワールドワークを受けました。
人との関係の中で、いつも突き当たる壁があります。
本当に相手に伝えたい気持ちを、すんなりと伝えられない。
どう思われるかを気にするあまり、笑顔で取り繕ってみたり(カチカチの笑顔)
相手の反論を受けるのが怖くて、回りくどい言い方をしてしまったり
(何が言いたいのか、自分でも分からなくなる)
それらのエッジが、わたしの人との関係を守ってくれたことも、ひとつ。
でも、そのままでは、自分の気持ちに嘘をついてばかりで、人との関係に疲れてしまう。
何をするにも、人との関係は欠かせない。
一人では生きていくことなんて出来ない。
ならば、エッジと対話して、エッジの外側にある未知の自分に出会おうと思った。
エッジを倒してしまうのではなく、味方に付けることを学んだ。
急には変えられない。
でも、少しずつ変えられる。
自分のことばで伝える。
何かがうまくいかないときに、人のせいにするのは簡単なこと。
けれど、それって、実はすごく傲慢なことだと気づいた。
シンプルに伝える。
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長い間、ブログを放置。
この一年、可もなく不可もなく、あまり成長もなく過ぎました。
放置していたブログは、期せぬ訪問者によってコメントの嵐!?
もちろん、削除しました。
また、ぼちぼち書いていこうと思います。
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40代に入ってから、ふと、体の各パーツの‘たるみ’が気になり始めた。
若手女性芸人さんが、ムチムチに肥えてるのを見ると
「ムチムチした女の子もいいよね~」などと
若かりし頃の自分を、今になって自画自賛したりする。
けれど、地球の重力に耐えられなくなった、わたしの体の各パーツは
バケツからこぼれ出るスライムのごとく
タルル~ンと音がしそうなくらい、はみ出している。
しかも、脂肪が付きまくって層状になってしまったセルライトが
リンパ液の流れを阻止して、体に必要のないものが溜まりまくってるようだ。
意を決して、この夏から、リンパマッサージを受け始めた。
春から始めたピラティスも、もちろん続けている。
が、このセルライトをほどくには、ピラティスだけだと何年かかるか分かりやしないし
そもそも、ピラティスには痩身効果はないと聞いている。
で、今のわたしには両立てがいい!と思った次第。
(注;ピラティスは、わたし的には体を良くする感覚。)
お顔のリンパマッサージも始めた。
入浴後のリンパマッサージも、自分でやってみている。
お爪のお手入れなんぞも始めた。
こんなに外見を磨いたのは、もしかしたら人生はじめてかもしれない。
10~20代の磨き方は、もっと表面的なメイク止まりだったと思う。
今の磨き方は、もっともっと深くて、10年先20年先を見据えた磨き方だと思う。
誰からどう見られるかというのではなくて、自分がどうありたいかという感じ。
わたしは、循環のよい心と体で、気持ちよく柔軟に生きて、自然に老いていきたい。
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今日は、送り火を焚いて、息子の魂を見送った。
8年前の夏、彼は、わたしたちよりひと足先に旅立った。
8年間という短い間だったけれど、彼がわたしたちの元に生まれてくれて
共に生きてくれたことを感謝している。
今は、そう静かに思いを馳せることができる。
自然に時に身をゆだねていれば、いつの日か、そういう日がやってくる。
恨みや怒りを伴った悲しみほど、辛いものはないだろう。
わたしにも、そういう時はあった。
その負の感情を、しっかりと受け止めたことで手放すことができた。
あとは、自分の人生を、精一杯生きるだけ。
でも、実は、それが一番大事で、一番むずかしいことなんだと分かった。
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わたしは、思春期の頃から、母や姉、母の妹である叔母との関係が、あまりよろしくなかった。
姉とは10歳ちがいで、仲間というよりも母の代役のような存在として育った。
友だちの姉妹関係を見聞きすると、とてもうらやましいものがある。
それが、ここ最近・・・3年くらい前から、姉や叔母からの指示命令的な言葉が少なくなってきた。
母はといえば、あいかわらず電話をすれば「ああしなさい、こうしなさい」だけれども
会って話を聴くと、「他者のために生きる(尽くす)ことで成り立ってきたことで失った、自分の人生」を憂うかのような言葉ばかり。
だからと言って、かわいそうとは思わない。
いくら時代にそうさせられたとはいえ、そういう人生を選んだのは母自身なのだから。
姉も叔母も、常に他者(特に夫や親)を意識しながら、自分のやりたいことを押し殺してきた。
けれども、子どもの自立や夫の定年で思うところがあったようで、ようやく「自分の生き方」を考えはじめたようだ。
そうなると、わたしのことなんぞ、かまってられぬ。
昭和初期生まれの母、終戦直前に生まれた叔母、戦後の混乱の余韻残るときに生まれた姉、高度経済成長期に生まれたわたし。
時代による背景の違いはあれど、行きつくところ、いかに自分に正直に生きるかであることを知る。
それを、50代、60代になって気づき、改めて自分の人生を生きようとする姉や叔母は、すごいと思う。
70代になった母には、それはちと困難であることは、わたし自身の成長で知るようになったこと。
田辺聖子さんのアフォリズムを読むと、女の人生のオモロさを知る。
年をとるということは、そういうことなんだと、女に生まれたことに喜びを感じる。
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5か月ぶりの書き込み。
2月のわたし・・・こんなだったんだな。
それからのわたし・・・あのときの出来事を忘れずに歩いているよ。
謙虚に生きるということは大切。
年を増すにつれて、謙虚さが薄れていく。
**のおかげとか、そういうのではないけれど
思い上がりは見苦しい。
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誰のことよりも、一番、わからない自分。
人のことは、なんとでも言える。
起きたことを、人のせいにするのは簡単。(でも、あおりは大きい)
間違いは、だれでもやっちゃう。
その間違いを、自分の中に取り込んで
なぜ、そうしたのか
そのとき、どういう気持ちだったのかとか、考えると
体の具合は悪くなるし、うつ状態にもなる。
そして、やーめた!って、酒を飲んだり、カラオケで声が枯れるほど歌ったり
気分悪くなるほど過食したり、泣いて誰かに同情を求めたりして
そのことから逃げて、スッキリした気になって、また月日が流れ
同じことを繰り返してしまう。
今、わたしは、数え切れないほど何度目かの
その自分の中の壁にぶち当たっている。
振り返れば、40年近く前にも、似たような苦い経験があった。
何をしていても、どこにいても、誰と会っても
その壁は立ちはだかる。
今がチャンス!
もしかしたら、最後のチャンスかもしれない。
このまま自分と向き合わず、50代になり、60代になったら
年長者風を吹かせるだけの、嫌なシニアになってしまうだろう。
そうならないためにも
今、ここから。
思い出す映画 「ライファーズ ~終身刑を超えて~」
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